北海道胆振東部地震の被害と復旧するまでの状況まとめ

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最大震度7となった胆振東部地震から1か月ほど経ち、生活もようやく落ち着いてきました。

今回の地震がどのような状況だったのか、友達や知人からのLINEの情報をもとにまとめてみました。

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復旧するまでの状況

北海道全域の停電などいろいろなことがありましたが、復旧するまでの様子を時系列にまとめてみます。

地震が起こったのは9月6日の夜中の3時7分でしたが、私はその時仕事で旭川のホテルにいました。

旭川は震度4だったようです。

9月6日

  • 地震で目が覚め、結構揺れたのでテレビをつけて震源地を確認。5分くらいテレビを見てトイレに行ってから、また眠りにつく。
  • 10分経ったくらいで停電になったことに気づく。非常灯がまぶしくて眠れない。
  • 友達のPちゃんから電話で安否確認。公園に非難しているとの連絡がある。
  • 水をくみ上げるポンプが停電で動かなくなり、上層階の水が出なくなる。トイレが使えるのは1階だけ。
  • 食堂で朝ご飯は提供されたが、照明がつかないので薄暗い。
  • フロントでペットボトルの水が一人1本配られる。
  • タクシーがなかなかつかまらない。
  • スマホは仕事用のパソコンから充電していたが、ついにパソコンの充電も切れる。
  • 仕事は全てキャンセル。
  • ホテルの大浴場とシャワーが使えないので近くの銭湯に行く。
  • エレベーターが使えないので従業員の持つランタンとスマホの明かりを頼りに非常用の階段を登る。
  • 道路の信号が消えているので車の運転は命がけ。

9月7日

  • ホテルの電気が朝4時半頃に復旧。
  • 家族と連絡を取り、全員無事なことがわかった。
  • 札幌の交通機関は全て運転見合わせ。
  • 地元の取引先の協力があり無事帰札。
  • 食料の買い占めが始まる。
  • ガソリンスタンドでの給油が1~2時間待ち。
  • 夜にライフライン復旧。
  • 札幌ドームで予定していたキリンチャレンジカップ2018、日本対チリ戦が中止。

近所のスーパーの様子です。

営業してもらえるだけでもありがたいですね。

ほかのお店は休業していたり、並んでも品物が買えないこともありました。

水、電池、カップ麺、惣菜コーナーがしばらく品薄でした。

9月8日

  • 余震がずっと続いている。
  • 関東に住む幼なじみのNちゃんから食べたいものを送るから遠慮なく言ってほしいとの連絡がある。
  • 計画停電の話が出る。
  • モエレ沼芸術花火2018が中止。

9月10日

  • 余震で眠りが浅く、肉体的にも精神的にも辛い日々が続く。
  • 交通機関が復旧したので会社が通常営業に戻る。
  • ガソリンスタンドもほぼ復旧。
  • 電力不足のため節電が始まり、街中が薄暗い状態に。

9月12日

  • コンビニやドラッグストアの品薄状態が続いている。
  • 仕事に影響が出て残業が増えた。

9月15日

  • 延期になっていた大通のさっぽろオータムフェストがはじまる。

9月16日

  • 震度4の地震が起こる。

9月17日

  • 寝ている時に起き上がるほどの揺れを感じる。

10月1日

  • 震度4が観測され、毎日余震が続いている。
  • いつ大きな地震が起こるかわからないので買いだめは必須。

10月5日

  • 朝の地震で地下鉄が止まって遅刻する。

10月9日

  • また地震があり、1か月経ったのにいつまで続くのかと不安になる。

被害状況

札幌は震度5~6弱で「こんな大きな地震は生まれて初めて」という友達がたくさんいました。

札幌はきっと大丈夫と油断していて災害時の備えをしていない人も多く、準備の大切さをあらためて感じました。

停電になると入ってくる情報が極端に少ないので、かなり困りました。

交通機関がマヒしていたので、いろいろなイベントが中止や延期になり、学校や会社に行けなかったりと予定が崩れた人がたくさんいました。

私の周りの友達の話をまとめると清田区と東区の被害が比較的大きかったように思います。

特に清田区の液状化は激しかったです。

東区の元町駅付近も震度6弱が観測され、液状化が起きていたようです。

環状通東駅付近は道路が陥没しているところもありました。

私の実家も東区なのですが、家をフルリフォームして基礎も全部直したのにもかかわらずタンスが倒れました。

両親はたまたま旅行で外泊していたからよかったものの、もし家にいたらと考えるとゾッとします。

玄関の戸が開かなくなったり、水槽が割れて畳やじゅうたんを張り替えた家もあったようです。

同じ東区でも私の家はテレビや電子レンジが若干動き、浄水ポットが倒れて床が水浸しになっていたくらいで大きな被害はありませんでした。

会社のロッカーの中身が飛び出ていた、必死でタンスを押さえたとの話も聞きました。

転倒防止のつっぱり棒をつけていた職場のロッカーは無事でした。

今回の地震で各土地の強度がわかったので、今後の家造りの参考にしたいと思います。

また家を建てるなら、作りつけの家具も考えたほうがいいのかもしれないと思いました。

今回は本当に電気と水が大変な地震でした。

停電は一番早くて6日の15時に復旧という情報がありましたが、8日になってもまだ復旧していないところもあり、地域によってかなり差がありました。

冷蔵庫や冷凍庫の中身がダメになって処分した人は食料難になったようです。

私は幸い家を留守にして冷蔵庫を開けていなかったので、処分したのは牛乳くらいでした。

地震の前日にも台風があって停電が数日続いたので、電気のありがたみが本当に身にしみました。

復旧した時の喜びは感動ものでした。

当たり前の生活がこれほど幸せに感じるとは思いませんでした。

友達からもいつも通りの生活がうれしい、毎日を大切に過ごしたいとの声が多数でした。

この地震の大変さを忘れないうちに防災グッズなどの備えをきちんとしようと思います。

義援金

日本赤十字社で義援金を受け付けていたので寄付してみました。

被災したみなさんの力に少しでもなれたらうれしいです。

平成30年北海道胆振東部地震災害義援金

こちらもどうぞ(妹のブログです)

北海道胆振東部地震で札幌在住で体験したこと      

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